舵は、誰の手に

過去に、会社のカルチャーブックを作成したことがある。

カルチャーブックとは、組織の文化や行動指針を明文化したもの。ミッションやビジョンに対する理解を深め、日々の働き方や意思決定の基準を定義する「社員手帳」のような役割を持つ。

その中に込めた行動指針の一つに、今でも大切にしている考えがある。

周囲の目を気にして、他人の人生を生きない

言い換えると「自分の意思で決定する」ということ。

何かを選ぶ際、他人の意見を参考にしたり、既存のデータと比較したりするのは当然のプロセス。しかし、SNSを開けば「誰かの正解」が溢れ、AIに問えばもっともらしい回答が即座に返ってくる。本当にそれでいいの?危うくないか?と正直震えてしまう。。。

なぜなら、その選択によって生じる結果への責任の所在は、どこまでいっても自分自身にしかないから。

人生や仕事において、日々の小さな違和感や許容しきれない事柄が積み重なっていくことがある。それを、一定の容量を持った「器」に例えるなら、その器が限界を迎え、中身が溢れ出した時が、変化や決断のタイミングなのかもしれない。安易に環境や他人のせいにしたくなるかもしれないが、それでは自分の人生を歩んでいるとは言えない。

事なかれ主義で周囲の顔色を伺い、決断を先延ばしにするのはある意味では楽だ。

波風の立たないコンフォートゾーンに留まり続けるのは心地よいかもしれない。しかし、心地よい環境が必ずしも良いとは限らない。 たとえ厳しい状況であっても自分の意思で道を選ぶ。そのプロセスを飛ばしてしまっては、次に繋がる学びも、自らの足で立つ覚悟も生まれない。

コンフォートゾーンを抜け出し、新しいことに挑戦しようとすれば、当然ながら批判や反対に直面することもある。

「ここだから通用してるだけ」
「もっと力をつけてからじゃないと失敗するよ」
「そんなの需要ないんじゃない?」
「もう他に誰かやってるよ、今さらでしょ」
「前例も、文脈もないし、うまくいかないよ」

すべてを自分で決定するのはやはり怖いし、なかなか賛同されないことの方が多い。まさに、震える手で舵を握るような感覚になる。

“難が有るから有難い”といった言葉遊びをしたいわけではない。ただ、誰もが納得するような無難な選択の先には、誰にでも代替可能な予測通りの結果しか待っていないのも事実。

批判されたり、容易に賛同が得られなかったりすること。そうした摩擦がある決断ほど、自分の意思で選び取り、正解にしていく過程にこそ、他ならぬ自分自身の価値が宿るものだと思う。

他人の意見を参考にしつつも、最後の決断は自分の意思で下す。環境のせいにせず、自分の人生の舵を自分で取る。

いま、その舵は、誰に預けているだろうか。

Takanobu Maruyama

たぬき合同会社 代表 / 大阪芸短 講師
📍 Kawanishi, Hyogo.
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