捩れのなかで

“デザインにおける「つくる」対価が低下している。”

これは一体どの層に向けた話なのだろうか。

世間ではよく「AIの台頭によって誰でもつくれる時代になった」と言われる。たしかに背景にはAIの普及が大きく関わっていると思う。

ただ、冷静に考えると、AIを業務レベルで本格的に実用化しようとすると、実はそれなりにコストがかかる。実務へ組み込むには複数のAIツールに課金する必要があり、法人プランとなればもっと高価になる。

そもそもAIを導入して
既存業務を効率化して、利益を増やしたいのか。
新規開拓して、売上を向上させたいのか。

きっと「どちらも」だろう。

本来、積み上がるコストの回収を先送りにするのは、財務的にはあまり良くない。そう考えると、「AIを使えば安くつくれる(だから対価が下がる)」という理屈がそのまま通用するのは、事業を多角化していて、太い収益の柱が複数ある企業に限った話なのでは?とも思えてくる。

近い将来はもっとAIが普及する。

その頃にはAIそのものがコモディティ化して、「AIでつくれること」は相対的に優位性や便利さはなくなっている可能性も高い。そう考えると、「つくる」対価は本質的には低下していないとも言えるかもしれない。

ただ、デザインを行う人自体が急増しているのは紛れもない事実。

コロナ禍以降で在宅ワークや副業のデザイナーが増えたり、他業種からの参入もあったりして、結果としてロゴやバナーなど特定の分野に特化したデザイナーがぐっと増えた。そして「つくる」対価の勝負のままでは、ずっとこの熾烈な競争からは逃れられないし、デザイナーとしての持続可能性も危うくなってしまう。

このレッドオーシャンから抜け出すためには、デザインの対象を単なる「成果物」ではなく、「事業や会社そのもの」へと向けていく必要がある。

商売は、結局のところ集客力と営業力。

この2つがないと破綻するし、時代を辿ってもこの事実はぜんぜん変わらない。

何十年も前のビジネス書が今でも引用される理由は、まさにここにある。だからこそ、これからのデザイナーは特化型ではなく、「なんでも屋」になる方がクライアントからは喜ばれるし、市場もそう求めているんだと思う。

それは、実際に手を動かす人でなく、意思決定をしてくれる人でもいいのかもしれない。

武蔵坊弁慶。
彼が背負っていた「七つ道具」。

あれは、ただ敵と戦うためだけに集めたわけじゃなく、鋸(のこぎり)や鉞(まさかり)なども含まれていて、どんな事態にも対応し、生き抜くための万能サバイバルキットだったらしい。

結局のところ、商売の世界でも同じ。

リスクヘッジをして、あらゆる状況を突破しようとすれば、道具(スキル)って自然と増えていくもの。

でも、ここが本当に悩ましくて、いざ自分の武器を増やそうとする時。つい「自分の好きな分野」や「尖らせたいスキル」ばかりを握りしめたくなる。だけど、市場の要求や現実を見ると、自分がそこまで興味を持てないような武器だって、生き残るために背負わざるを得ない。

デザイナーとしての純粋なエゴと、商売という冷徹な現実。

本当は、ただ純粋に「つくる」ことだけに向き合っていたい気持ちだってある。なのに、それだけじゃ食っていけないから、泥臭く別の武器も磨かなきゃいけない。ここに、どうしようもない捩れが生じる。

ただ。

ただね。

この狭間でバランスを取って息をしていくのが、本当に堪らなく、脳汁溢れる快感だったりする。

「結局気持ちいいんかい」ってオチだけど、今読んでる本でちょうど弁慶の話が出てきて、自分の思考とリンクしたので、ここに投下しておく。

Takanobu Maruyama

たぬき合同会社 代表 / 大阪芸短 講師
📍 Kawanishi, Hyogo.
─ Profile